媽祖信仰の由来
媽祖(まそ)は、航海・漁業の守護神として、中国沿海部の福建省や潮州を中心に、台湾では特に篤く信仰されている道教の「海洋を守る女神」です。また天妃娘娘、天上聖母、媽祖菩薩などの尊号が送られています。
宋朝初期建隆元年(西暦960年)3月23日に、福建省の官吏、林愿の七女として一人の女児が生まれました。生後1ヶ月経っても泣き声をあげないため、「黙」の1字を入れて林黙娘(りんもうにゃん)と名付けられました。黙娘は幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤く、16歳の頃に神通力を得て村人の病気を治すなどの奇跡を起こし、「通賢霊女」と呼ばれて崇められるようになりました。しかしあるとき、父親が海難事故に遭って行方不明になりました。これを嘆き悲しんだ黙娘は旅立ち、やがて峨眉山の山頂で仙人に導かれて神様になったとされています。福建省にある媽祖島(馬祖島、現在の南竿島とされる)に、この伝承が残され島の名前の由来になっています。
宋朝の太祖雍熙四年(西暦987年)9月9日に、修行を終えた媽祖は晴天の日中に昇天。中国の数え年で29歳のときでした。
他界した後も、赤い衣装を身に纏い海の上を舞い、海難事故に遭った人々を救助する媽祖の姿はたびたび見られました。
当時から庶民をずっと守ってきたため、人々は媽祖廟(媽祖を祀る寺院)を建設し、信仰するようになりました。宋朝の徽宗は「順済夫人」、宋朝の光宗は「霊恵妃」、元朝の世祖は「天妃」、清朝の康熙帝は「天后」、さらに清朝の道光帝は「天上聖母」と称号を送りました。
台湾には福建省南部から移住してきた開拓民が多数存在しています。これらの移民は媽祖に航海中の安全を祈り、無事に台湾へ到着できたことを感謝し、台湾各地に媽祖の廟祠を建てました。このため台湾では媽祖が広く信仰されることになり、台湾で最も親しまれている神様と言われています。旧暦3月23日の媽祖の誕生日には、毎年、台湾全土で盛大なお祭りが行われます。
日本では、元禄三年(西暦1690年)に徳川光圀が、唐の心越禅師がもたらした天妃(媽祖)を水戸の弟橘媛神社に合祀しました。元禄9年に、青森県大間村の名主伊藤五郎左衛門が水戸の天妃を大間稲荷神社に遷座し、遷座300周年を迎えた1966年(平成8年)以降、毎年海の日に大間稲荷神社では「天妃祭」が行われています。
媽祖信仰は、世界各地に移住した華僑によって広められ、ほとんどの移住先には媽祖廟が建てられています。現在、国際シンポジウムなどで媽祖信仰は注目され、単なる民族信仰にとどまらず、政治、経済、文化、民族を含めた広範囲の中で考察されています。宗教と固有の文化が融合した媽祖信仰は、世界における華僑の活躍と共に大いに注目されています。