石垣島媽祖宮発展協會

建立の趣旨と目的

かつて、台湾と石垣島の先人たちの交流は、日本における植民地時代1895年(日清戦争終了)~1945年(第二次世界大戦終結)までの50年間、日本と台湾に国境の壁がなく、台湾に最も近い石垣島とは船を利用して自由に往来ができ、様々な交流を深め信頼を築いていました。

明治期に台湾から西表島での炭鉱労働を目的に最初の移動が行われ、石垣島には農業開拓を目的とした移住ありました。

当時、石垣島には蚊による感染力の高いマラリアが蔓延していて、農業開拓者たちはそのマラリアと戦いながら未開拓の荒れたジャングルを開拓し農地を拡大していきました。

昭和に入るとパインナップルやお茶の栽培による起業を目的とした大同拓殖に600名余の人々が移住し、一時期は住民とのトラブルや摩擦も多く発生し懸念されましたが、新しい農機具や水牛を活用し荒れた土地を締めずに開墾してパイナップルの栽培が成功し大きな産業化への可能性を生み出したことで、住民とのトラブルも徐々に解消し相互の信頼を深めていきました。

台湾出身者の持ち込んだパイナップルが石垣島の代表的な特産品となっています。

異国の土地での想像を絶する苦労や多くの犠牲者を出したマラリアとの戦いの中で、豊作祈願、家内安全、マラリア予防、病気の治癒等と個々の悩みや台風などの自然災害の防止と様々な目的で名蔵御嶽を参拝するようになり、後に地元住民の理解の下、名蔵御嶽を借りて土地公祭を始めるまでに地元に溶け込み信頼をかちとっていきました。各々個人で行われてきた土地公祭も台友会を設立、その後琉球華僑総会として発展し、組織的な運営形態として伝承され、今は琉球華僑八重山分会として台湾の出身者のみならず多くの市民や観光客も自由に参加し、友情・文化・平和交流の土地公祭として訪れ九日本の人との間でも注目を集めています。

今では、石垣市は国内国外から年間一四〇万人余の観光客が訪れる日本を代表する人気観光地として発展し、台湾からも年間八万人余、中国から五万人余の観光客が訪れています。その観光客が必ず訪れる「唐人国際親善の碑」も観光客が必ず立ち寄る人気ポイントとして位置づけられています。

その「唐人国際親善の彿」を訪れる国内外の多くの関係者からも「世界の人々の友情と平和交流」を目的としたシンボルとして、台湾や中国で海の女神として広く信仰されている「燃祖廟」の建立を願う声が多く寄せられてきました。

水牛は今では石垣島観光の重要な役割を果たしています。

これまでも芸能文化や経済的な交流を通して友情を深めてきた長い歴史を艦みても、この「嫡祖廟」を建立することにより、台湾を始めアジア全域の国々と観光交流を通して、国々言葉、イデオロギーや宗教の壁を乗り越えて信頼と友情を深める平和交流の懸け橋になると確信しております。

この大切な友情の歴史を深く心に刻み、台湾を始めアジアの国々の皆様方の絶大なるお力添えを賜り、平和交流の懸け橋となる「嬬祖廟」を建立することを目的に「石垣島媽祖宮発展協曾」を設立することになりました。

つきましては、時節柄ご多忙の折とは存じますが、「石垣島媽祖宮建設」にあたり、本事業の趣旨をご理解頂き、お宮が快く落成出来ますようにお力添えを賜り建設資金のご寄付をいただければ幸いと存じます。宜しくお願い致します。

石垣島媽祖宮発展協會
代表理事 東郷清龍